大判例

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東京地方裁判所 昭和28年(行)11号 判決

原告 大神宮

被告 大蔵大臣・関東財務局長

主文

原告の請求を棄却する。

訴訟費用は原告の負担とする。

事実

原告訴訟代理人は、「一、被告大蔵大臣が原告に対し昭和二十七年八月十三日蔵管第三〇四三号をもつてした裁決はこれを取り消す。二、被告関東財務局長が原告に対してした昭和二十七年四月十五日指令社第一二、二八五号譲与許可書による処分中茨城県那珂郡村松村大字村松字宿通八番の一、百六坪七合七勺(以下本件甲地域という。別紙図面甲と表示した部分。)、同所五十六坪九合二勺(以下本件乙地域という。別紙図面乙と表示した部分。)および同所十坪七合二勺(以下本件丙地域という。別紙図面丙と表示した部分。)の譲与不許可処分(以下本件不許可処分という。)ならびに訴外虚空蔵に対し昭和二十七年四月十五日指令寺第七、三五六号をもつてした本件甲地域についての譲与許可処分(以下本件許可処分という。)は、いずれもこれを取り消す。三、訴訟費用は被告らの負担とする。との判決を求め、その請求の原因として次のとおり述べた。

一、原告は昭和二十二年法律第五十三号「社寺等に無償で貸し付けてある国有財産の処分に関する法律」(以下たんに境内地処分法という。)により昭和二十三年四月二十八日被告大蔵大臣に対し当時の東京財務局太田出張所を経て本件甲、乙および丙地域を含む土地四千百七十三坪七合五勺(後記訴願の裁決書によれば実測四千百三十六坪三合九勺)の無償譲与申請をしたところ、被告関東財務局長は原告に対し、昭和二十七年四月十五日指令社第一二、二八五号(後記訴願の裁決書には指令第九四号と記載されている。)をもつて本件甲、乙および丙地域を除くその余の部分の土地については原告の右申請を許可したが本件甲地域については明治初年における上地権者(国有土地につき国から無償譲与を受け得る権利を有する者を指称する。以下同じ。)は訴外虚空蔵であること、本件乙および丙地域についてはそれらを国有地として残存しておくことを必要とすることの理由でいずれも本件不許可処分を、また本件甲地域については右のような理由で虚空蔵に対しその申請にもとづき本件許可処分をした。そこで原告は右原告に対する本件不許可処分および虚空蔵に対する本件許可処分を不服として昭和二十七年六月二日被告大蔵大臣に対し訴願をしたが、同被告は同年八月十三日右訴願を棄却する旨の裁決をし、その裁決書謄本は同年九月二十三日原告に送達された。

二、然し乍ら被告関東財務局長のした本件不許可処分および許可処分ならびに被告大蔵大臣のした本件訴願を棄却する旨の裁決は次の理由により違法である。

(一)、本件甲地域について。

1、本件甲地域は原告がその上地権者である。

本件甲地域は乙および丙地域とともに境内地処分法第一条第一項の社寺上地もしくは地租改正によつて国有地となつた土地である。そして、原告が無償譲与を申請した、右各地域を含む四千百七十三坪七合五勺の土地は明治四年および同六年の大政官布告によつて上地された土地である。ところで、大正十年法律第四十三号国有財産法(以下旧国有財産法という)が施行されるや当時郷社で公法人であつた原告の境内地は公用財産となり、中央管理機関としては神社の主務管理庁である当時の内務大臣が、地方機関としては茨城県知事がそれぞれ管理をした。また虚空蔵の境内地は寺院敷地たる雑種財産に編入され、中央管理機関としては寺院の所管者たる文部大臣が、地方機関としては茨城県知事が管理をした。したがつて原告についても虚空蔵についてもその境内地に関しては茨城県庁の保管する明治九年以来の官有地台帳および附図(以下茨城県官有地台帳および附図という。)が唯一の公証台帳および公図であるというべきである。そして右官有地台帳(甲第七号証)によれば、原告の境内地はその面積四反七畝四歩即ち千四百十四坪であり、同附図によれば本件甲、乙および丙地域は原告境内門地であること、しかして虚空蔵が本件甲地域の上地権者でないことも明らかである。

右のことはまた次のことからも窺い知ることができる。即ち本件甲地域を虚空蔵に譲与することは前記官有地台帳および附図、原告境内外図、虚空蔵境内外図(甲第六号証)のいずれとも合致しない結果を生ずるばかりか原告に対しては著しい減歩を招来せしめている。即ち、原告が無償譲与を申請した四千百七十三坪七合五勺の境内地については原告に上地された当時の、茨城県庁備付の図面と一致していたし、後同図面は明治八年に境内外取調官が実測のうえ本件甲、乙および丙地域の各北西側に隣接する虚空蔵境内地との境界を確定し国有地となつたが、その際の測定面積および公図が前記官有地台帳および附図となつたのであるところ、それら測定公図、台帳、附図によれば、原告境内地中拝殿石垣下より幅六間の境内地が南西方向に長さ百十三間三尺にわたつて延び、これの北西側即ち隣地の虚空蔵境内地との境界が直線であることが明らかである。そして右幅六間の境内地は古来より馬場と称して原告が上地をうけて以来祭典執行の場所として使用してきたのであるのに虚空蔵は境界から右境内地え本件甲地域にあたる土地の一部に不法に侵入して石垣を築き無断で碑を建てるなど不法に占拠しているのであつて、本件甲地域が旧国有財産法第二十四条による虚空蔵に対する無償貸付地には該当しない。右のとおりであるから、本件許可処分および不許可処分は違法であるので、右処分を認容した本件裁決も違法である。

2、のみならず、本件訴願を棄却した裁決の理由によれば、被告大蔵大臣は昭和十七年十一月十八日、当時の東京財務局長がした境界の査定のとおり本件甲地域は虚空蔵の境内地の一部であるとしているが、右査定なるものは次の理由によつて何ら確定力を有しないから、右理由による本件訴願裁決は違法である。

(イ) 旧国有財産法第十条ないし第十三条所定の境界査定というのは、国有地と民有地との間の境界についていうのであつて、国有地相互間についての境界査定というものは存在しないから、東京財務局長が右査定なるものをしてもそれは査定としての効力を発生するに由なく本件甲地域につき何らの確定力を有しない。

(ロ) いわゆる境界査定をするのは国有地の管理庁即ち神社敷地たる公用財産については内務大臣および地方長官、寺院敷地たる雑種財産については文部大臣および地方長官であつたから、原告(神社)と虚空蔵(寺院)との境界を確定する権限のある官庁は内務大臣、文部大臣および茨城県知事であり、東京財務局長には何ら本件甲地域に関し境界を確定する権限を有しないし、東京財務局長がしたとする査定なるものについては右権限ある官庁の承認もないから無権限の行為であつて査定としての効力を発生するに由ない。

(二)、本件乙および丙地域について。

本件乙および丙地域もまた前記のように甲地域とともに境内地処分法第一条第一項の社寺上地もしくは地租改正により国有地となつた土地である。そして本件乙地域の大部分は甲地域とともに原告の境内地参道および馬場であつて公衆の通行に差し支えがなく、将来も原告の存続する限り一般参拝者の自由な通行に供する土地であり、参道としてまた本件甲、乙両地域に生立している一号ないし二十九号の立木と相まつて原告大神宮の尊厳を保持するうえからも宗教活動に必要な土地であること明らかで、これに反し特に道路として国有地に存置する必要は全くみあたらない。又、本件丙地域は道路に接続し、事実上公道であり、原告の参拝道であるが、すでにその地域には華表および神号碑が存在している。したがつてもし本件乙および丙地域が国有地として存置される場合は右の華表および神号碑の撤去を命ぜられ或は道路占用許可を得ることが必要となつて占用料を徴せられ、又行事のあるごとに一時占用許可を要することとなる。したがつて原告の参道として一般公衆の通行に供すべきで、本件乙および丙地域が原告に譲与されても道路として使用することができ、或は国が地上権、地役権等を設定すれば足りるのであつて敢えて国有道路敷地として存置する必要はない。また、古くより原告が上地していた関係からも譲与につき不許可の処分をすることは違法である。右のように、本件乙および丙地域につき原告のした譲与申請に対し不許可処分をしたのは違法であるから、右不許可処分を容認した本件裁決もまた違法である。

三、よつて請求の趣旨記載のような判決を求めるため、本訴に及んだ。

右のように述べ、被告の主張に対し次のとおり述べた。

一、本件裁決の裁決理由が原告主張の理由のみに基くものではないということは、裁決が適法であるかどうかについて裁決理由以外の理由を本訴において主張することとなり、許されない。また被告は、本件甲地域を含む現在の原告の参道が原告および虚空蔵の上地にかかる土地ではないと述べるが、それであるならば、本件甲地域を虚空蔵に譲与した本件許可処分はすでにこの点において違法である。

二、本件甲地域について、虚空蔵が昭和十四年頃被告主張の法律に基き譲与申請をした際、当時の東京財務局長が原告と虚空蔵との境内地の境界を測量してこれを確認したと主張するが、前記のように当時の神社の主管官庁は内務大臣、知事であり、寺院のそれは文部大臣、知事であつたから、神社即ち原告と寺院即ち虚空蔵との境内地の境界につき財務局長は何らの確定力ある行為をする権限を有しないので、右確認は譲与申請に対する下準備的調査にすぎないというべきである。のみならず、茨城県知事が東京財務局長の右行為につき同意した事実はない。原告に対する査定通知なるものもまた単に東京財務局長の見解を通知してきたにとどまる。却つて、茨城県知事は同知事に対する被告主張の査定通知に対しては異議を述べて再調査を求め或は原告と虚空蔵との境内地面積を比較して東京財務局長の査定が不当であることを指適し、当時の内務省会計課長に対してもその旨報告をしたばかりでなく、本件甲地域が公用財産地域であることを茨城県官有地台帳及附図によつて確認し本件甲地域を除いた部分を虚空蔵の境内地と確認し、これに基き雑種財産の地方総括官庁である財務局長に引き継いだほどである。なお茨城県庁係員も右査定が違法であるとして右査定に関するいきさつを茨城県知事に対し復命している。また、もと神社敷地は公用財産であり、内務大臣及び知事が管理してきたが、神道廃止に伴う昭和二十一年勅令第七十一号によつて「現に国において神社の用に供し又は供するものと決定した公用財産」は神社の用に供する雑種財産(同令附則第六項)となり、同令第三条によつて改正された国有財産法第二十四条第一項により神社に貸しつけたものとみなされることとなつたところ、右勅令施行前に虚空蔵に対し内務大臣もしくは知事が同寺院の用に供し又は供する土地と決定した事実はない。

三、被告が安政年間以前において作成されたと主張して提出する村松村見取図(乙第二号証の一ないし三)と村松村役場の保管にかかる同村宿通の見取図(乙第三号証)は、それらが安政年間以前作成のものであるとする証拠はないし、それらの図面が大正十三年以前から虚空蔵に所在していても、本件甲地域を含む現在の参道が原告の上地でないということはできないし、右宿通の見取図には参道が赤色をもつて表示されていて原告の境内地と色を異にするからといつて、原告の上地した区域でないということはできない。却つて茨城県官有地台帳によれば、「神地四反七畝四歩大神宮境内」と記載されているのに、参道幅員六間、長さ百十三間三尺即ち六八一坪(甲第六号証)を除けば境内地は七百三十三坪となつて半減する結果となり、理解することができないこととなるし、茨城県官有地台帳に右のように「神地」と記載されていることは明治初年の社寺上地又は明治六年の太政官布告、明治八年の地租改正事務局議定、明治九年地租改正事務局指令社寺境内地処分必得書等により、「社寺上地、地租改正によつて国有となつた土地」であることが明らかであるから、境内地処分法により譲与許可の対象となる土地である。現に村松村が被告ら主張の頃した「村道」との認定処分を取り消したのは、昭和二年十一月に調査の結果、右の認定にかかる村道なるものが原告境内地と重複している旨の原告の申出を認めたためであり、被告ら主張のような理由によるものではない。また、本件乙地域は行政上の措置として原告の上地したものと扱つたにすぎないとの被告らの主張は右に述べたことからも理由がない。

四、もし、茨城県官有地台帳が被告ら主張のように社寺境内取調官を派遣して調査の結果作成されたものでないとしても、原告および虚空蔵の関係者らによつて作成され又は茨城県庁において作成されたもので関係者間において異議がなかつたこと明らかであるから、被告らの主張する明治二十九年作成の太田税務署あよび村松村役場保管の図面(乙第一号証の三の一ないし三)に異る記載があつても右図面は次に述べるように権威のあるものではない以上、原告と虚空蔵との境内地の境界については茨城県官有地台帳を基準とすべきである。即ち、右図面は官有財産に関して何らの権限を有しない村松村役場が明治二十九年頃民有地を重点として測量し戸長や関係人が作成した字図および、その字図を基とはしたが村松村役場において虚空蔵の信徒総代で同村の要職にあつた者らが法律上の根拠なく改変したものを地租法、不動産登記法関係の付属地図として太田税務署に備えつけられた図面であり、いずれにしても民有地相互間の境界の測図であるにとどまり、不動産登記法や地租法の適用のない国有地についてはそれらの図面は公証の文書ではないし、同図面を官有地と民有地もしくは官有地相互間の境界の確定に使用することはできないのである。

五、旧国有財産法施行に際し知事から大蔵大臣に寺院敷地を雑種財産として、また昭和二十一年に神社境内地を雑種財産として各引継がれた場合でも、茨城県官有地台帳および附図により行われているが、同附図の記載により原告境内地は四反七畝歩である。ところで原告境内地面積が右のようであるがためには本件甲、乙および丙地域を含まねばならぬこと計算上明らかである。これに反しかりに前記明治二十九年作成の字図によつて境界を定めるものとせば、茨城県官有地台帳および附図に基く実測によつても原告境内地面積は一畝二十歩減少するのに、原告境内地は合計三畝二十八歩減少し虚空蔵のそれは一畝六歩を増す結果となるし、昭和十七年十一月十八日に行われた東京財務局長の査定によるときは原告境内地はやはり茨城県官有地台帳の面積より三畝二十八歩減少し、虚空蔵は実測十四反五畝十九歩で僅かに一畝二十二歩の減少となるにすぎないけれどもさらに本件甲地域を原告分として加えてもなお一畝二十歩減少しているのに虚空蔵分に加えれば一畝六歩の増加となる結果となる。このように、右字図もしくは査定を原告と虚空蔵との境内地の境界基準とすることは不合理である。なお被告ら主張のように原告の旧参道(幅員六間、長さ百十三間三尺)全部が道路であるとすればこれを右原告の境内地から引けば七百三十三坪となつて右官有地台帳の面積のほゞ半分になり不合理である。

六、村松村宿通の見取図(乙第三号証)に、原告の旧参道が赤色で表示されているが、同見取図は当時副戸長であつた太田与右ヱ門(現在の虚空蔵の檀徒総代大内菊寿の曾祖父)が故意に赤色をもつて原告参道を道路と表示したのである。このことは明治四年に地図を作成した際参道を右見取図に表示されている原告大神宮の色と同様の紫色をもつて表示した図面が同時に作成され、これは戸長役場から後に太田税務署に引き継がれ昭和三年頃同署に存在したことを原告代表者の父荒木田泰顕が現認していることからも明らかである。仮りに然らずとしても明治初年にあつては道路に関する法制の整備されたものでなく、道路法による国道、村県道、町村道というようなものもなく、道路認定の制度もなかつたので、公衆が自由に通行する場所である限り素朴に道路と指称したものであることは容易に推察することができるので、右見取図に赤色をもつて表示されているから道路であつて参道ではないということはできない。

七、原告が本件訴願書に疏明書類として写を添付して引用した茨城県庁土木課に保管してある図面は、同図面中に「神官沢田泰博拝借地」の表示がありかつ明治四年七月四日太政官達「神社祿制制定ニ付境内区別方ノ件」に「社家居宅地ハ拝借ト相心得」とあることから考えて、明治四年社寺上地の際の地図であることは確かであるところ、同図面によれば「馬場代」と表示されている部分は両側が直線であり面積も境内二反四畝十三歩馬場代二反二畝二十一歩でその合計四反七畝四歩というのは前記茨城県官有地台帳に原告の境内として表示されている面積と合致する。

右のように述べた。(立証省略)

被告ら指定代理人は、主文同旨の判決を求め、答弁として次のとおり述べた。

一、原告の主張事実中、原告が原告主張の日被告大蔵大臣に対し境内地処分法によりその主張のような土地の無償譲与申請をしたこと、被告関東財務局長が譲与申請土地中本件甲、乙および丙地域については原告主張のような理由(たゞし、その主張の理由のみによるものではない。)によつて本件不許可処分をし、その余の土地については原告に対し譲与処分をし、かつ本件甲地域は虚空蔵が上地したものと認定してこれに対し譲与する旨本件許可処分をしたこと、原告が本件許可および不許可処分につきその主張の日被告大蔵大臣に対し訴願をしたが棄却(たゞし原告主張の理由のみによるものではない。)されたこと、その裁決書謄本が原告主張の日原告に送達されたこと、本件甲および乙地域が上地により国有地となつたこと、旧国有財産法の施行によつて当時の原告境内地が公用財産となり、虚空蔵境内地は雑種財産に編入されて無償貸付地となつたこと、当時の原告境内地の主務官庁が内務大臣および茨城県知事であつたこと、昭和十七年十一月十八日、当時の東京財務局長が原告境内地と虚空蔵境内地の境界を査定(確認)したが、右査定が法定の確定力を生じない(正しくは旧国有財産法第十条ないし第十三条に基く査定ではない。)こと、本件乙および丙地域は道路として国有地に存置する必要があつたことも原告に同地域を譲与しなかつたことの理由の一であることおよび本件乙および丙地域の現状が原告主張のようなものであることはいずれも認めるが、その余は争う。

二、本件許可および不許可処分は次に述べるとおり適法でありしたがつて本件裁決もまた適法である。

即ち、境内地処分法に基く無償譲与の処分は同法第一条第一項所定の要件(当該社寺の上地した土地であること、同法施行の際現に当該社寺において国から無償貸付をうけている土地であることおよび当該社寺において宗教活動を行うのに必要な土地であることの三)を備えかつ国有地として存置する必要のない境内地等についてのみ行われるものである(同法第一条第一項、第三条、昭和二十二年勅令第百九十号第二条参照)ところ本件地域は右要件を具備していない。

(一)  本件甲、乙および丙地域は原告の上地にかかる土地ではない。

原告は本件甲、乙および丙地域が原告の旧参道の一部で原告の上地にかかる土地である旨主張するが、もともと現在の参道(右旧参道から本件地域を除いた部分)についてすら原告の上地にかかるものと認め得る資料は存しない。却つて社寺上地がなされたときより前の古図(乙第二号証の一ないし三、同第三号証)によれば現在の参道および本件乙、丙地域は一般公衆の通行のための道路として表示されているのみならず、村松村においても右地域が道路敷たる国有地であつて原告の境内地ではないと認めていたので旧道路法(大正八年法律第五十八号)公布直後である大正九年三月二十六日に村道であると認定した(もつとも昭和二年に原告より村松村に対し該地域が原告境内地であることを理由に道路認定取消の要望がなされ右認定が取り消されたことはあるが、それはその際原告から右地域を村民が公道同様に使用してよい旨申し添えてあつたので、村松村々議会においては村民が道路として使用し得るのであれば敢えて右認定を維持し紛争を招くことは好ましくないと考えたことによるので、右地域が原告の境内地であると認めたわけではない。)事実さえ存する。本件原告からの無償譲与申請に対しても右地域が原告の上地にかかるものと認め得る資料は存在しなかつたが、本件乙および丙地域を除いては、即ち現在の参道についてはことさらに国有地として存置する必要もなかつたので、被告財務局長において原告の要望を容れ、行政上の措置として原告の上地にかかる土地として取り扱つたにすぎない。なお、本件甲地域は虚空蔵が古くより使用していた事実から、虚空蔵の上地した土地であることは明らかである。

(二)  本件甲および丙地域は境内地処分法施行の際原告が無償貸付をうけていた土地ではない。

境内地処分法施行の際神社において無償貸付をうけていた境内地とは、昭和二十一年勅令第七十一号「官国幣社経費ニ関スル法律廃止等ノ件」附則第六項および同令第三条により改正された旧国有財産法第二十四条によつて「従来より神社において無償貸付を受けていた雑種財産」とみなされた土地であり、これは旧国有財産法施行当時従来より引き続き当該神社において無償で占有、使用し、明治年間に上地した土地をいうのであるから、前段に述べたとおり、本件甲、乙および丙地域が原告の上地した土地でないことからして同地域が境内地処分法施行の際原告において政府から無償貸付を受けていた土地でないことも明らかである。なお、次の点からも本件甲および丙地域が境内地処分法施行当時原告において無償貸付を受けていた原告境内地に含まれていないことが判明する。

1、甲地域について。

甲地域は従前より虚空蔵において使用していた土地であるが昭和十四年頃、同年法律第七十八号「寺院等ニ無償ニテ貸付シアル国有財産ノ処分ニ関スル法律」に基き、甲地域を含む虚空蔵の全境内地について虚空蔵から当時の東京財務局長に対して無償譲与の申請があつたので、同局長はその譲与処分地の範囲を確定させる必要上昭和十七年十一月十八日虚空蔵境内地と原告使用の参道部分との境界については予め茨城県知事の立会を求め、同知事の部下吏員立会のもとに測量をした結果、本件甲地域は虚空蔵境内地に含まれていることが明らかとなり、同吏員も右測量の結果につき何らの異議を述べなかつたのであるから右測量(原告の述べる昭和十七年十一月十八日の境界査定処分である)は右局長および知事が共同して行つたものというべく、虚空蔵においては引き続き同地域を使用してきた。したがつて少くとも右測量が行われた時以降は本件甲地域につき原告のために国との間に無償貸付関係が生ずるいわれはない。なお茨城県知事は、昭和十七年十二月二十六日になつて被告財務局長に対し右境界の再調査方の要望があつたが、右測量による境界は適正であることを実測図を添付して通知したところ、その後何らの申入がないので、結局、茨城県知事は右測量の結果を承認しているにほかならない。

2、丙地域について。

境内地処分法施行の際における本件丙地域は、大正九年四月一日路線認定があつたとき茨城県那珂郡村松村々道の一部として一般公衆の通行の用に供されていたものであるから、同地域が「本法施行の際原告の用に供し又は供するものと決定された土地」でないことは明らかである。なお、右村道は、昭和二十四年七月十三日になされた茨城県知事の路線認定により現在は県道として一般公衆の通行の用に供されている。

(三)  本件甲、乙(たゞし原告の現在の参道の中程を南北に横切る部分を除く)および丙地域はいずれも原告境内地の参道に沿つた極めて小面積の土地でありかつ右参道は参道としての必要を充たすに十分な面積を有しているから、本件各地域を原告に譲与しなかつたことが原告の宗教活動等を行うにつき障碍を与えるものとは考えられない。したがつて、右地域が原告にとつて、宗教活動等を行うのに必要な土地であるということはできない。なお、原告の主張する甲地域上に生立するという立木は虚空蔵の前住職大沢智道が虚空蔵所有地に植樹したものであつて、その所有に属するものである。

(四)  本件乙および丙地域は国有地として存置する必要がある。

1、乙地域について。

原告からなされた本件譲与申請に対し本件甲、乙および丙地域を除いた土地につき譲与処分がなされたが、その処分前は原告が使用していた参道はその東端の北側から北方に延びる国有地たる道路と右参道のほゞ中程の南側から南方に延びる国有地たる道路とが存在し、この両道路は右参道によつて連絡されていた状況にあつたのであるから、もし乙地域を原告に譲与してしまうと国有地たる右両道路は原告の所有地によつて連絡を絶たれ、いずれも袋路となり、原告において右参道を他の用に供しもしくは塀などを設ける場合には事実上も右両道路の連絡が絶たれるから、本件乙地域は道路敷として国有地に存置されたのである(なお、右のようにすることは境内地処分法による譲与又は売払における全国共通の処理方針でもある)。

2、丙地域について。

前記のように現在の県道の一部であるから、国有地として存置したものである。

3、けだし、境内地処分法は、国が公益上の見地等から使用する必要のある土地は国有地として存置すべきことを規定しているのであつて、道路として必要な土地についても一度これを社寺に譲与したうえ改めて土地使用の権利の設定をして道路として使用する権原を取得するというような迂遠な方法を講ずることは境内地処分法の趣旨にそわないから、道路敷として使用する必要がある土地はまさに国有地として存置する必要がある土地というべきである。

(五)  被告財務局長が原告と虚空蔵との敷地の境界を調査、決定するに際しては茨城県官有地台帳および附図によらないで現在水戸地方法務局那珂出張所において保管している土地台帳附図(村松村大字村松字宿通位置図および虚空蔵堂敷地位置図、乙第一号証の三の三。以下土地台帳附図という)を参考資料とした。地租徴収等のため民有地を対象に作成された土地台帳附図は官有地間の境界につき判断の資料となし得ないという原告の主張は一般的な場合としてはそのとおりであるが、本件においては別に解さねばならぬ。その理由は次のとおりである。

1、右境界を定めるについては茨城県官有地台帳および附図は現状に即した正確な資料ではない。即ち、同附図は政府の取調官が実測して作成したものではなく原告および虚空蔵の関係者らによつて作成されもしくはこれを茨城県庁において書き写した地図であり、茨城県官有地台帳は右地図に基いて作成されたもので、現況に即しない不正確なものである。政府は明治初年社寺領を上地せしめるため、社寺より境内外の区別を届出るよう布告したが、届出がないため明治七年十一月二十八日内務省達乙第七十一号をもつて翌明治八年三月上旬より政府取調官を派遣し教務省係官も立ち会つて現地を調査する旨布告したが、その後調査が実現しないうちに社寺領の上地が造展したためか同年七月二十三日政府において右調査方をとりやめる旨決定し、結局社寺境内外区別の調査について政府取調官が現地に派遣されたことはないから、茨城県官有地台帳も政府取調官により作成されたものではない。

2、一方、現在各法務局に備えつけられている土地台帳附図は、明治六年太政官布告地租改正条例の趣旨に則りその頃作成された字図町村図(乙第三号証)が不正確なため、さらに明治二十年六月二十二日大蔵大臣内訓第三、八九〇号をもつて各地方機関に対し正確な字図町村図の調整を命じこれにより各地方機関が測量技術者を使用して明治二十年から明治二十四、五年までに、もしくは明治二十九年頃作成されたもので、本件土地台帳附図もその一であり、したがつて地租徴収のため民有地を対象として作成したものであるが図面の正確を期するため時としては官有地についても実測が行われ、道路についてもその境界は正確に測量したと考えられる(このことは土地台帳附図では本件甲地域が原告の現在の参道の方え突出しており、茨城県官有地台帳附図ではそれに当る部分が突出せず一直線に記載されているが、経験則上地図作成に際し境界の突出部分を省略して一直線に記載することは考えられるが現況が一直線である境界をわざわざ突出して記載することは考えられないので、この点からも明らかである。)からである。

右のように述べ、

なお、原告は裁決書に表示された裁決理由が誤りである限りたとえ他の事由によつて該裁決が正当と認められるとしてもなお該裁決は取り消されるべきである旨主張するが、右主張は民事訴訟法第三百八十四条第二項の規定に徴しても失当である。

また原告は本件甲地域につき原告に対する無償貸付関係が存しないとしても、虚空蔵に対してもまた無償貸付関係は存しないから、虚空蔵に対する本件譲与処分は違法であると主張するが、原告が無償譲与ないしは売払を受けるべき地位にない以上原告につき何らの地位ないし権益を侵害されるいわれはないから、虚空蔵に対する本件許可処分の取消を求める訴の利益は有しないと附陳した。

(立証省略)

理由

一、原告が原告主張の日被告大蔵大臣に対し境内地処分法により本件甲、乙および丙地域を含む四千百七十三坪七合五勺の土地につき無償譲与申請をしたところ、被告関東財務局長が右土地のうち本件甲、乙および丙地域を除くその余の土地については原告に対し譲与処分をしたが、本件甲地域については、少くとも、同地域の明治初年における上地権者は虚空蔵であることの理由で、又本件乙および丙地域については、少くとも、それらの地域を国有地として残存しておく必要があることの理由で、それぞれ本件不許可処分をし、かつ本件甲地域につき同地域は虚空蔵が上地したものと認定して虚空蔵に対し本件許可処分をしたので、原告が本件許可および不許可処分につき原告主張の日被告大蔵大臣に対し訴願をしたが、棄却され、その裁決書謄本が原告主張の日原告に送達されたことは、当事者間に争がない。

二、ところで境内地処分法第一条第一項、第三条、昭和二十二年勅令第百九十号第二条によれば、同法に基いて国有財産たる土地につき無償譲与の処分をするには、当該土地が社寺上地、地租改定、寄附又は寄附金による購入によつて国有となつた財産で、同法施行の際現に当該社寺が国から国有財産法によつて無償貸付をうけている土地のうち当該社寺において宗教活動を行うのに必要な土地であり、かつ国有地として存置する必要のない境内地等であることを要する。

そこで本件各地域についてそれらが右要件を具備するかどうかについて判断する。

三、まず原告が本件甲、乙および丙地域を無償貸付をうけていたかどうかを考察する。

(一)  旧国有財産法の施行により当時の原告境内地が公用財産となり。これが管理については当時の内務大臣および茨城県知事が管理機関となつたことは当事者間に争がないので、その限りでは原告境内地の範囲等に関しては一応茨城県庁の保管する資料が信頼するに足りるものということができる。

原告はこの点については茨城県官有地台帳および附図が唯一の公証台帳および附図であると主張するところ、原本の存在および成立に争のない甲第七号証(茨城県官有地台帳)、いずれも成立に争のない甲第二号証(ただしそのうちの添付図面五葉)、同第四号証(ただしそのうちの添付図面)、同第六号証(明治九年茨城県庁備付原告、虚空蔵境内図)、同第八号証(茨城県庁備付原告境内外図)、同第九号証(茨城県庁備付虚空蔵境内外縮図)等によれば、原告境内地中拝殿石垣下より幅六間の境内地が南西方向に長さ百十三間三尺にわたつて延び、馬場(もしくは馬場代)との名称がつけられ、その北西側即ち隣地の虚空蔵境内地との境界が直線であつて、これは明治九年以来の状態であることなどを一応窺い知ることができるので、本件甲、乙および丙地域は原告が貸付を受けていた土地であると解せられないでもない。

ところで被告らは、右茨城県官有地台帳および附図は現状に即した正確な資料ではなく、土地台帳附図の方がその作成されたいきさつから考えても正確であるので、被告財務局長が土地台帳附図を基として原告と虚空蔵との敷地の境界を判断したことは違法ではないと主張するところ、成立に争のない乙第一号証の一、二および同号証の三の一ないし三(三の二につき添附図面一葉を、三の三につき添付図面二葉を含む)によれば、本件甲地域は虚空蔵の敷地となつていて原告の境内地ではないし、原告の現参道の部分および本件乙および丙地域も公道として表示されていることが認められる。

そこで進んで、官有地台帳および附図と土地台帳附図とのいずれを正確な資料とすべきかについて考察する。けだし、旧国有財産法の施行により原告境内地の管理は地方機関としては茨城県知事が行うこととなつたが、そのことから本件地域に関しては茨城県官有地台帳のみが唯一、絶対の公証文書でその余の資料等はすべて顧慮するに値しないとは直ちには断言することはできないのみならず、現在水戸地方法務局の保管している土地台帳附図は原告の述べるごとく地租徴収のため民有地を対象として測量させたから、本件官有地相互間の境界の判断については当然にはその資料とはなし難いことはまことにそのとおりではあるが、官有地台帳および附図等と比較検討したうえなお土地台帳附図等をもつて判断の資料とすることが妥当であると解すべき余地がないわけではないからである。

(二)  前顕乙号各証および成立に争のない乙第十八号証の一、二を総合すると、次のことが認められる。

乙第一号証の三の二に添付の図面は水戸地方法務局久慈出張所備付の、又、同号証の三の三に添付の図面は茨城県那珂郡東海村(もと村松村で、昭和三十一年四月一日旧石神村と合併して東海村となつた)役場備付および同村に居住する須藤久三介が所有するところのいずれも本件地域付近の図面の写であり、いずれも原図どおり洩れなく記載されているが、右図面中久慈出張所備付のものは、製図者については「製図者柿岡善寿」とありその名下に「測量製図者柿岡善寿水城印」のほゞ四角の印影が押印されており、作成年月日については記載はないが、東海村に隣接する各地域につき、いずれも明治二十一年三月もしくは同年四月に測量図が作成され、その製図者の氏名も明らかであることからすれば、右柿岡善寿なる測量、製図を業とする者によつて明治二十一年三、四月頃もしくはおそくとも後記東海村役場備付の図面と同じころ作成されたことを推認することができる。又、東海村役場備付の図面は右法務局久慈出張所備付の図面の作成者である柿岡善寿により明治二十九年に作成されたことおよび東海村居住者須藤の所有図面は作成者、作成年月日は明らかではないが右二葉の図面と同様に可成り詳細に製図されている。

以上の事実と成立に争のない乙第十六号証(「町村地図調製方ノ件」という明治二十年六月二十二日付大蔵大臣訓令)の記載を併せ考えると右の三葉の図面はいずれも作成当時の現況に即した正確なものであることを推認することができる。

(三)  これに反し、前顕甲号各証中添付図面はいずれもいかなる経過によつて、誰が、いつ作成したものであるか明確にこれを知ることができない。

もつとも前顕甲第二号証によれば、同号証(訴願書)に添付して引用した茨城県庁土木課保管の図面には「神官沢田泰博拝借地」との表示があるので、原告はそのことの理由で右図面は明治四年社寺上地がなされたさいのものであると解すべきである旨主張するが、かりにそのとおりであるとしても、なおその図面中の表示が正確な測量等に基き作成されたであろうと認め得る証拠がない。また、原告は原告が無償譲与を申請した四千百七十三坪七合五勺の境内地は原告に上地された当時の茨城県庁備付の図面と一致しその図面は明治八年境内外取調官が実測のうえ本件甲、乙および丙地域と虚空蔵境内地との境界を確定し、その際の測定面積および公図が茨城県官有地台帳および附図となつたと主張するが、それら作成のいきさつを肯認する十分な証拠がない。

右のように茨城県官有地台帳および茨城県庁備付の各図面が存在するにもかかわらず、なお本件甲、乙および丙地域ならびにこれらの地域の東南側である原告現在の参道が原告において無償貸付をうけていたと認めるべきかどうかの判断について正確な資料は前記法務局久慈出張所、東海村役場備付等の図面であると解せざるを得ないのである。

(四)  なお、原告が本件甲、乙および丙地域等を原告の祭典執行の場所として古くから使用してきたと述べるところ、そのことのみから当然に右地域が原告の境内地であるとは言えないし、成立に争のない甲第十二号証(村松村々道認定取消に関する件と題する書面)および原告代表者荒木田泰光の尋問(第一回)の結果によつて真正に成立したものと認め得る甲第二十号証の一のい、ろおよび同号証の二(いずれも本件甲、乙および丙地域ならびにそれらの地域の東南側原告現在の参道部分につき茨城県知事の使用許可に関する書面)の存在は原告がそれらの地域および参道を使用していたことを認め得る資料とはなし得のが国から無償貸付をうけていたとの確証とはなし難いし、原告において援用する成立に争のない乙第三号証は右各地域および参道が赤色で表示されてはいるが同時に作成された同号証と同様の図面には原告の境内と同じ紫色で表示されかつ右のように赤色にしたのは右図面作成当時の副戸長が故意に村道のように表示したのである旨の原告代表者荒木田泰光の尋問(第二回)の結果についても原告が無償貸付をうけていた証拠とはなし難い。却つて原告境内地拝殿玉垣下より南西方面に延びる原告主張の旧参道が県道と接する附近(本件丙地域および原告現在の参道上)に原告の鳥居、神号標などが建てられたのは昭和十六年四月以降のこと(原告が当裁判所にあて提出した茨城県指令社兵第三二三九号茨城県知事名の許可書によつてこれを推認することができる)であつて、それ以前は本件甲地域と乙地域との境よりもさらに原告境内地に寄つた方に鳥居が存在した(このことはその末葉に明治三十六年九月十八日付農商務省の検印があることによつて真正に成立したと認めることができる乙第二号証の一によつて認めることができる。)にすぎないことおよび右乙第二号証の一を併せ考えれば、前記のように事実上原告の参道として使用されていたにすぎないと解することができる。

原告は又、茨城県官有地台帳には「神地四反七畝四歩、大神宮境内」と記載されているのに、もし本件甲、乙および丙地域ならびにそれらの東南側の地域を除くとすると原告の境内の面積は七百三十三坪となつて官有地台帳面積のほゞ半分になると主張する。茨城県官有地台帳を右地域に関する唯一、絶対の資料であると断定する限りその不合理は参酌されねばならないが、前記説明のとおり、右地域を原告において国から無償貸付をうけていたかどうかの判断に関する限り茨城県官有地台帳をそのようには解し得ない本件においては、右原告の指摘する面積の減少をもつてにわかに右地域を原告において貸付をうけていたと認定すべきものとは考えられない。

(五)  以上述べてきたとおり本件甲、乙および丙地域ならびにこれらの地域の東南側にあたる原告現在の参道が原告において国から無償貸付をうけていた地域であるとは容易に断定し難く、他に右認定を左右する十分な証拠はないので、原告は本件甲、乙および丙地域につき境内地処分法による無償譲与を受け得る権利を有しないものといわざるを得ないから、これが原告の譲与申請を拒絶した被告財務局長の本件不許可処分は何ら違法ではない。もつとも、被告財務局長は本件乙および丙地域については国有地として存置しておく必要があるとして不許可処分をしたことは当事者間に争のないところであるけれども、右地域についても右認定のように原告において無償譲与を受け得る権利を有しない以上右地域が国有地として存置しておく必要があるかどうかを判断するまでもなく結局右地域に関する不許可処分を違法として取消す実益がない。また、原告は本件甲地域についてこれを虚空蔵に譲与した本件許可処分は違法であると主張するが、その理由は右地域が原告において無償譲与を受け得る権利を有することを前提とするので、右許可処分の取消を求める原告の主張も結局採用するに由ない。

しかして又被告財務局長のした本件許可および不許可処分に対する原告の訴願を、棄却した被告大蔵大臣の訴願裁決もまた何ら違法な点はない。原告は右裁決の理由中に、昭和十七年十一月十八日当時の東京財務局長がした査定によると本件甲地域は虚空蔵の境内地の一部であるとしているが、右査定は適法な確定力を有するわけではないから右査定の存在を理由とする裁決は違法であると主張するところ、成立に争のない甲第三号証(裁決書謄本)によれば、裁決の理由として右原告主張のようなことを掲記していることは認め得るけれども、本件甲地域が原告において無償譲与を受け得る権利を有しないこと前記のとおりである以上、右査定の性質、効果等を判断するまでもなく右裁決を違法として取り消す実益がない。

四、よつて原告の本訴請求はいずれもこれを採用するに由ないので、棄却することとし、訴訟費用の負担につき民事訴訟法第八十九条を適用して主文のとおり判決する。

(裁判官 近藤完爾 入山実 秋吉稔弘)

(別紙図面省略)

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